BUMP OF CHICKEN – カルマ 歌詞の考察

公式

YouTubeの説明は以下のように書かれています。

2005年11月23日にリリースされた「カルマ」のミュージックビデオ。
カルマ=業・・・必ず結果をもたらし、結果はそれによって必ず導かれるという人間の行為=運命・・・。人間の存在そのものの本質と真理を激しく深く、そして真摯に切実に描いたこの楽曲は、それとのまさに運命的な出会いを果たした多くの聴き手それぞれの感性に、孤高のかけがえのない真理の歌として響きわたることでしょう。

素晴らしい説明だと思います。聴く人によって、聴いた人の分だけ捉え方のある曲なんでないでしょうか?
私自身この曲に出会ったが中学生の頃で、歌詞の意味も理解できていませんでしたが、ずっと聴いていました。
この曲自体それくらいパワーのある曲であり、魂に訴えかける曲なのではないのでしょうか?
大人になった今、この曲を考察してみたいと思います。
大人になって気がついたのはゲームの歌詞ではなく、双子の魂を意味しているのではないのかと考えるようになりました。


ガラス玉ひとつ 落とされた 追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる

ガラス玉とは魂のことで
落とされたというのは、この世に生を産み落とされたことを指しています。
そしてそれを追いかけるように双子の魂が落とされました。
年の差の試練でないツインソウルは同じ時期くらいに生まれるといいますね。

このひとつ分の陽だまりが意味するのは、陰と陽
別々の存在になってしまったこと。

心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る
奪われない様に 守り続けてる

人は生まれた時、1つの体に1つの魂しか入れません。
双子の魂は一つの肉体に入れません

汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

これはカルマ(業)のことです。
自分の記憶には、過去世ので行った自分の業は思い出せません。
ですが、人の魂にはその業がしっかりと焼き付いています。
自分に起こることはすべてその業が生み出したことです。
自分が今ある行いを疑う前に、過去世で行ったことであろう業が身に降りかかります。
試練といってもよいでしょう。

必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ いつだって呼んでるから
くたびれた理由が 重なって揺れる時
生まれた意味を知る

そしてここで双子の存在が出ます。ですが、二人はまだ再会していません。
同じ鼓動の音、魂の音と考えても良いでしょう。
それを目印にして再び再会することを知ります。
魂同士は繋がっていますからね。
くたびれた理由が 重なって揺れる時とは
数々の試練をのりこえて、それが積みに積み重なったとき
つまり、試練を乗り終えたす末、自分が生まれた意味を知る

存在が続く限り 仕方無いから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない

これは双子の魂が一つの肉体になることができない
そして陰と陽に分かれるのでどちらかが必ず陰にならなければならない。
だから両方が陽になることはできないということでしょう。

ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた

ここでは魂が2つになったことを表し、光を浴びたとは自分が「陽」の立ち位置にいると言っています。
2番目の歌詞の入りも1番目の歌詞と似ている部分があります。
ですが、注目して欲しいのは、双子の存在を知っているか知っていないかです。
1番目のサビの部分、「必ず僕らは出会うだろう」
つまりこの時、双子の存在に気が付いているということです。

数えた足跡など 気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間

今まで自分の歩んできた人生について考えさせられます。
0と1の間、無から有へ。
自分がこの世に生まれた意味、本当に自分がやらなければならないこと。
自分自身の使命を理解します。

初めて僕らは出会うだろう 同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる

そしてここではじめて双子が再会します。
“同じ悲鳴”の旗とは、”魂の共鳴”と捉えます。
重ねた理由とは過去世での業を埋めることであり。
約束とはこの世で業を洗いがなし、二人が結ばれようということを指します。
そして二人は過去世で、魂のとき今世で出逢おうと誓いあった約束がここで叶います。

鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを 映す為の
汚れた手と手で 触り合って
形が解る

鏡とはそのままの意味で
お互いが鏡のように写しあった存在。
汚れた手とは試練を乗り越えてきた手のことです。
二人がその手を握った時、自分たちの本当の存在を知ります。

ここに居るよ 確かに触れるよ
一人分の陽だまりに 僕らは居る

そして出逢った二人は、お互いがきちんと傍に居る。
触れる確かな距離に居る。
一人分の陽だまりに、二人はいると実感します。
ここで言う、「一人分の陽だまり」は、陰と陽が交わりあった状態にあると捉えます。

忘れないで いつだって呼んでるから 同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう 沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる
僕らはひとつになる

今世で出会った二人、自分たちの使命や存在にも気が付きましたが
二人はカルマが残っているためもう一度輪廻をしなければなりません。

だから二人は同じ魂を通して「忘れないで!」って呼び続ける
もう一度輪廻し、来世で生まれ変わっても必ず出逢うと約束します。

“沈めた理由”は”カルマの浄化”、”十字架を立てる”とは”終わり”や”終わらせる”を意味します。
すべてのカルマの浄化が終わった時、今度こそ本当の結合をしよう。
「僕らは1つの魂になろう」と誓いあいます。


いかがでしょうか?
自分なりの考察をまとめてみました。
今回はツインソウルをベースに考えたものです。
自分はツインの曲だと思っていますけれど
この曲はいろんな捉え方ができるので一概にツインソウルだ!と言えないのです。

藤原さんの作る曲は、スピリチュアリティがあるので
どこか別の世界とかいろんな宇宙的な意識と繋がった状態で作られてるのかな?なんて考えてしまいます。
ゲームに沿って作ったという話がありますが、BUMP OF CHICKENのHPの説明を読んでみたら
カルマ(業)についての曲を作りたかったようです。
なので実は意図していたのかもしれませんね。
その答えは本人に聞いてみないとわかりませんが。